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一神教と多神教

真実は、一つで一貫しています。
しかし、真実の中道は、常に動いています。その一つは、いつも同じという意味ではありません。根底に流れる精神が一つと
いう意味であり、現れ方は多種多様です。
だからこそ、個性が尊ばれ、生かされるからです。
だからこそ何十年も生きて、兼ね合いをつかみ,如何なる状況でも自在力、応用力がつき、人生を賢くいききることができるようになります。

結局、一神教と多神教の関係も一緒です。一神教という基本原理を中心に、それが、この地球上で、色々な時代、場所、環境によって、多様に表現された結果が、多神教になったに過ぎないのです。1人の神が、多様に現れたの過ぎないのです。しかし、現れ出てきたところだけを捉えると、多神教になって、そのこだわりが偶像崇拝化させて、真理を固着させ、命を途絶えさせ、パワーをおとしめ、そこで死の恐怖と結びつくのです。その囚われが生命を滞らせるのです。
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コメント

たったひとつの真実を、
沢山の個性が、それぞれの真実として受け止め、
実践する所までは、素晴らしかったんでしょうね!

ところが、自分の真実こそ本当の真実である!と、
各々が言い始めて、他の真実を認めなくなってしまった辺りから、
人間の分離意識が始まったのかと思います。
おっしゃるように、分離意識は、最終的に死の恐怖に結びつき、
元々持っていた自由な意識が、囚われてしまいますね!

確かに集団と言うかたまりで見ればそうなのかもしれませんが、個人単位に観察すると「神と個人」の1対1の関係というのもあって、必ずしも、自由な意識が囚われてしまうということにはならないと思うのですが・・・。

Hamさん

コメント有難うございます。本来人間は自由であると思います。宗教の悲劇は、自分のところが絶対唯一であると思い込んだところにあると思います。末端を見るのではなく、どの宗教にも共通するスピリットを見ることが大事だと思います。末端を見たが為に、色々な争いを生んでいます

ぽーさん。

いつも訪問していただいて有難うございます。自由な意識が囚われたというのは、自分の物が一番と思ったが為に、宗教戦争を生み出しました。もちろん、神と個人との関係は上手くいっても、全体から見ると、他の宗教を排斥したが為に、あらゆる争いを生みました。これからの世の中は、一人ひとりの個性を重んじつつ、曼荼羅の世界が出現するようになると思います、すなわち、末端を見たが為に、あらゆる争いを生み出すことになりました。そうではなくて、根源を見ることによって、この地球上に、平和がもたらされるようになると思います。世の中で、平和を願わない人はいません。そこを見ることによって、みんなが少しずつ歩みよれるようになると思います。どの宗教も共通の根源法則があります。

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良子先生

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