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無意識

時に私は、気が付いたら人を好きになっている。
無意識のうちに、、。
時に私は気が付いたら、人を嫌いになってる。
無意識のうちに・・。
人は、好きになろうと思って人を好きになることはできない。
人は嫌いになろうと思って人を嫌いになることはできない。
人は、悲しいことに、自分の感情すらコントロールできないのだ。

無意識の言動の中にこそ、その人の真実が現れ、未来を垣間見ることができる。
意識的な言動には、何も観るべきものがない。
無意識の中でこそ、初めて善人が悪人に,悪人が善人にいれかわる。
無意識の中にこそ、その人の傷ついた過去を見ることができる。
無意識の中では、この世は善人も悪人もいないことに気が付く。
この世は、アルファでありオメガであることに気が付く。
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ヒーリング

今回、上京した。まったりとホテルライフを楽しみつつ、ついでにある方の、ヒーリングをした。
拒食症の子供を持つお母さんで、身長が153センチで体重が29キロの女性だった。
前回お母さんと話しただけで、劇的な変化が現れた。彼女の拒食症の原因は、今回は、根本に母親の生き様に原因があった。その生き様をちょっとつつくとまず母親に変化が現れそして波動が娘に及んだ。だから直接、クライアントを診なくてもいい場合がある。
もちろんクライアントを直接見ないといけないケースもあるが・・。
多くの人は、病気を病気として捉えすぎる。すなわち現象面だけを見すぎてしまう。
すなわち、拒食症のケースは、何とか食べさせようとする場合が殆どだ。もちろんそれも大事だが、それより、その人の持つ闇を癒すことが先決である。その闇を癒すことによってその人は息を吹き返す。その闇とは、食べ物とは、無縁の場合が多い。

そこを癒すことによって、拒食症が回復するだけでなく、その人の持つ良さも引き出されてくる。すなわち全てが生かされてくるようになる。

私の場合は、言霊を使ってヒーリングをするケースが殆どだ。
人が私を通して、生き返ってくるのを見る事は、心が震える。
宇宙と一つになったという何物にも変えがたい喜びがある。

しかし、私は人を通して、自分の闇を見つめ癒しているに過ぎない。

時として思うこと。

私は、時として思うことがある。
皆、必要以上に、善人を目指しすぎじゃないかしら?
善人になろうとして、なれるものじゃないわ。
そんなんだったら、とっくの昔に人間は神になったはずよ。
私なんか、善人になろうと思ったとたん、自分の課題
にぶつかったわ。
作用反作用の法則で、かえって反動が出るみたい。
そんなこと考えるより、自分が生き生きワクワクする事を
考えたほうがいいわ。
人に迷惑をかけないという最低限のルールさえ守れば、
やりたいことやっていいんじゃな~い?

自分が幸せを感じたら、人におすそ分けしたいと思わないこと?
その結果、人にやさしくしてる自分がいるわ。
すなわち、目的と結果を摩り替えないことよね。

退屈な日々

時にふと、どうしょうもなく、自分の人生が退屈に思えるときがある。

何事もなく淡々と平凡に過ぎていく平和な日々。
友人とランチをしたり、家族で旅行をしたり・・。

まじめで、誠実な主人。子供も、いい子達。

完ぺきに安定している。

これを幸せといわずして、何というのだろう!

だけど不思議ね!。

全然イキイキワクワクしないわ。

主人や子供達の幸せを願って、人生を送れというのだろうか?

私に、主人や子供で勝負しろというのだろうか?

私に、よき妻、よき母親を演じろというのだろうか?

心が萎えてくるわ。

私はやっぱり私だわ。

私は、1個の独立した人間でいたいわ。

もっと命燃やすものが欲しいわ。

もっとこの世を必死に生きた証が欲しいわ。

それとも、私のわがままなのかしら?

今の私には、まだ答えがでていない。

違いと可能性

この地球上には、様々な思想、宗教、団体があります。
しかし根源は、同じ一つのところから出ています。

したがって、大きな1本の流れのみで、同一の流れの中の支流といった
程度のものです。あえて言えば、敵ではなく味方同士であり
その味方の中で、多少意見が食い違っているということです。

根本的なところでは、利害が一致しており、その中で多少食い
違ってるといった程度のものに過ぎないのです。

多くの人たちは、このことに気づいていません。位置づけや程度の差、
原因が本質のところに由来するものか、末梢的なところかを、見極めるこ
とができず、その点に、好結果をもたらせるはずが、もたらせぬまま終り
出会いの目的が正しく遂げられずじまいで終わります。それが不首尾と
いうカルマです。それを果たすために生まれ変わってきているといっても
過言ではありません。

違い自体が、妨げにならないのです。その違いの本質を上手く捉えられな
かったために、それをプラスに作用させられず、十分に生かしきることが
できぬままで、それが逆に妨げの要因として働き、結果成るものも
ならなくなってしまったという場合が殆どなのです。
違いを可能性として生かしきれたときに初めて、大きなカルマも浄化されます。

人との調和

全てバランスです。兼ね合いです。、まず自分がいて相手がいる。
状況がある。色々な考え方や捉え方があります。そのような流れ
の中で、人が自分自身、相手や状況と向かい合い、
そのような中で、いかに自分自身をダイナミックに生かし、
又相手をも生かしきれるかということです。又状況は、
常に動いております。相手にも、気持ちや意向があり
、こちらにも思い、意向、ヴィジョンがあります。別個の存在です。

相手とは別個の存在ですが、しかし元々同じ同一の根源から生み出されたものです。
同胞です。兄弟です。すなわち繋がっているのです。同じ中で違うのです。
その違いは同じ中での違いですから、矛盾をきたさず、生かしあえる違いです。

共通の普遍的基盤の上にたっての違いに過ぎません。損ないあう違いではなく、生かしあえる違いです。妥協や迎合はしなくてもいいということになります。
自分をいい感じで貫くことが、そのまま相手へのためにもなり、相手もわかってくればそれが一番ベストだったということになっていきます。
違いを違いとしてみるのではなく、違いを可能性として、見て取ってください。

自分であること

生きていく中で、一番大事なことはり、「今、我、ここに在り。」です。ここに私が、今この瞬間、存在してるということです。
最近、みんなで仲良く、感謝、共存共生等と言う言葉をちまたで聞きますが、その言葉は、とても美しく聞こえます。まるで自分自身がとてつもなく善人になったかのように・・。

本当に貴方が、救わないといけないのは自分自身なのです。自分自身を救済できたときに初めて、他人に救いが及び、真にその人のためになります。

必要以上に、善人になる必要はありません。貴方は貴方でいいのです。

貴方の闇にこそ、神の栄光があるのです。

開運法

幸運になるには、一番大事なことは、自分になることです。
とてもシンプルで単純です。自分の言い分を聞いてあげることです。
では自分の言い分とは、自分の望みを聞いてあげることです。そして、自分の影の部分を認め許し、癒すことです。必要以上に、いい子ちゃんになる必要なないのです。まず、自分あり気なのです。自分が一体この世の中で何を望んでいるか、強烈に思うことです。人に対しての歩みよりは必要ですが、必要以上の迎合は、その人のパワーをおとしめ、イキイキワクワクがなくなってしまいます。

仕事が遊び、遊びが仕事にしてください。もちろん深遠なる意味です。

そして毎日、一番望んでいることを、意識付けしてください。そのうちに、その望みが無意識の中に入り込みます。そうなったときに初めて、実現化の兆しが出てきます。唯一つ気をつけないといけないのは、幸せを望みながらも、よく見るとその人は不幸を選択してる人が余りにも多すぎます。
自分は自分であっていいのです。多くの人は、幸せになるために、頭で考えすぎます。必要以上の知識を詰め込みすぎます。知識では、人を打ち負かしても、何も周りは変わりません。
それより毎日の平凡な生活の中に、幸せを見出してください。幸せとは、外に求めるより、幸せを感じる心が大事です。

真の幸せは、とてもシンプルです。よく目を凝らしてみないと、通り過ぎてしまいます。

一神教と多神教

真実は、一つで一貫しています。
しかし、真実の中道は、常に動いています。その一つは、いつも同じという意味ではありません。根底に流れる精神が一つと
いう意味であり、現れ方は多種多様です。
だからこそ、個性が尊ばれ、生かされるからです。
だからこそ何十年も生きて、兼ね合いをつかみ,如何なる状況でも自在力、応用力がつき、人生を賢くいききることができるようになります。

結局、一神教と多神教の関係も一緒です。一神教という基本原理を中心に、それが、この地球上で、色々な時代、場所、環境によって、多様に表現された結果が、多神教になったに過ぎないのです。1人の神が、多様に現れたの過ぎないのです。しかし、現れ出てきたところだけを捉えると、多神教になって、そのこだわりが偶像崇拝化させて、真理を固着させ、命を途絶えさせ、パワーをおとしめ、そこで死の恐怖と結びつくのです。その囚われが生命を滞らせるのです。

これからの人間関係

これからの人間関係は、魂よりももっと奥深い本質の霊のところに立脚するとうまくいきます。
霊はスピリットです。霊という日本語は上手くしたものです。霊は零という意味でもあるからです。霊という本質のところは零とという意味でもあり,零は全てを生み出します。零から一が生じ、一から多、沢山のものが生じました。零の所に立ち戻りましょう。それが霊の世界、スピリットの世界です。

お互いに空になリ、無になるのです。それは生命が充満した無限の世界です。永遠の世界でもあリます。お互いに無限の零に立ち戻れば、相手もおのずとそのようになります。そうするとお互いに妥協せず、ぴったりのものが得られます。
なぜなら、神は全てを御覧になり、根っこでは繋がっているからです。もちろんすぐにマスターはできません。やりながら少しずつ習得していくものです。

ある意味で馬鹿になってください。馬鹿になれるというのは最大の強みです。謙虚だといえるし、又謙虚さ以上です。謙虚だというのは何か偽善が付きまといます。馬鹿というのは最大の賢さの証明でもあります。。弱みが強みになります。怖いものがなくなります。

それが本当の防衛力です
本当の馬鹿になってはいけません。馬鹿に見せるということでもないのです。
ただ素直になるということだけです。

人間回復

今の時代、世の多くの人たちが、原因と結果を逆にして捉えていることが、余りにも多すぎます。たとえば、遺伝の法則に基づいて親子とか兄弟、姉妹だからお互いに似ていると説明付けます。確かに現象レベルでは、そのような因果関係になっていて、きれいに説明ができます.そうであるからこそ尚のこと、真相が見抜けなくなり、混乱をきたします。そしてそれが煩悩や煩いを巻き起こします。

もともと似ているから親子なり兄弟・姉妹になったのです。そして遺伝の法則を利用して現象レベルで辻褄を合わせているということです。親子だから似ているというより、似ているからこそ親子になったというのが真相なのです。

たとえば、性格を変える場合、別の形に変えてしまう、性格改善のことですが、復帰する、立ち返る方が法則に即していて自然であり、上手くいきます。

一見こじつけのように見えますが、どうでもいいように見えることであっても、それが実は一番大事であり、それがないため世の中を狂わせていることは沢山あります。

一人ひとりが、本来の自分を回復して生き生きさを取り戻し、幼子のように新鮮で、永遠の生命を実感できるようになります。それは又、蘇生法にも成リ、健康回復する手立てにも応用が効きます。

これまでの人間関係Ⅰ

この世の方便的なところよれば、相手を立てるために自分が犠牲になるとか、自分の願いや夢を諦めなければいけない。それによって相手と何とか上手くやっていくことができる。

その為に、自分の気持ちが犠牲になる。反対に、どうしても自分を押し通したい場合は、自分のを優先し、自分の気持ちや気分に従う。
その為に相手のものは採用されず、相手が不機嫌になり、相手との関係が損なわれる。しかし自分のために致し方ない。今の世の中は、このような人間関係をいくつ戻りつして気を遣い、神経をすり減らしてストレスをためていきます。つまり相手を立てれば自分が立たず、自分を立てれば相手が立たずの関係でした。

そしてそのままでは終わらず蓄積されていきます。エネルギーは不滅だからです。それがカルマです。

それを解消したり果たす機会が必要となって気ます。相手のご機嫌を窺ったり自分の欲望やエゴや無知で引きずられたのがこれまでのあり方でした。それがうまくいかない事は十分証明されています。

人はこれを繰り返すことによって、老化を早め、病気を呼び込み、自らの神性をおとしめ、
この世が生き地獄となりました。


次回に、これからの人間関係とは?

幸せになるにはⅠ?

自分の中での調和と、周りとの調和と両方が必要で大事です。
同様に内なる自己調整と、周りとの相互調整と、これも両方大事で、内と外とのバランスが求められます。

真の調和というのは、ただあわせたり妥協して折り合いをつけるものではありません。互いに成長し、本当に正直になって自ずと現れる結果のほうです。目的というより・・。
内なる声と、外なる声とをつき合わせて、進んでいくこととなります。内なる声に命ずることによって、導かれて進んでいくことが基本です。

自分に正直になることです。
自分を信頼するということです

内に傾きすぎても、外に傾きすぎても、うまくいきません。内に傾きすぎる人は、頑固で閉ざされがちで、他者からの意見を聞こうとしません。反対に、自分の中を余り見ない人は、外となる意見や動きにただ引きずられるだけで、なすがままの人生となります。そうすると、悪い結果が出ると、被害者に転じます。そして「誰々のせい」とか簡単に言うのです。それは自分の人生に責任を取ってない人たちです。

内と外のバランスをダイナミックにとれるようにしましょう。
基本は、自分の内側に立脚しましょう。
そして自分の心に、一貫性と柔軟性を一つのものとして取り入れてください。つまり素直でもあり頑固でもあるということです。

それをそのときの状況や、環境に、自在に使い分けることによって、貴女は、何事からも自由になり真の平安が戻ってきます。
すなわち貴方が貴方になるのです。

囚われからの脱出Ⅲ

多くの人は魂や体、肉体のレベル、人間、自分の視点、立場で捉えます。相対的なレベルで。このことが、こうなりますようにと祈りの中で願うわけです。それに対して、神は、一様、それを掬い取りつつ、しかし、神ご自身の祈りの中では、むしろその人がそのことを通してカルマを果たし、浄化され、霊的に成長してそのことによって、次の段階にいたれますように、その結果問題が解消し、神の愛と平和と調和、安らぎと喜びが、その人とその周り相手方全てに、もたらされますように。それが、真の祈りです。

人間やその人のレベルでは、お願いが目的であり、このことがこうなりますようにという、おねだり的な現世利益です。神はそれを置き換えられ、本来の正位置に戻されます。その問題を通して、本人がカルマを浄化し、課題をクリアする方向で、霊的に成長し、清められ、本人も含めて、全体に相手方も含めて、真の平和と調和、喜びと安らぎ、健康が与えられますようにといったように、願い事を主とせず、結果とせしめ、霊的成長や本来のところに戻っていくのを目的とするお祈りに振り替えていきます。

それが真実だからです。

囚われからの脱出Ⅱ

仏陀は絶対的な境涯、ニルバーナを目指して悪を捨てるのは勿論の事、善をも捨てる、どちらにも片寄らず囚われないということを目指しました。それは、老子や荘子等の道教を真実として作り出していった人にも言えることです。

この世の幸せや、それに向けての膳を求めているとしたならば、一つの囚われであり倫理に過ぎず、ご利益信心です。それは、どこかに自分は優れていると誇るところがあり、悪に対する善、苦に対する楽という囚われから脱していません。そうすると簡単に逆に転じます。

逆の立場から見れば自分たちが善であり、こちら側が悪というということになります。相対的であり立場が変われば、善悪や苦楽もあべこべに簡単になりなり得る程度のものだからです。

しかし、真の善は、そこのプロセスを通してもたらせられます。そこのプロセスをカットして、いきなり絶対的善には行き着けません。

キリストは、無条件の愛、永遠の命として表現され、仏陀は、ニルバーナとして表現されました。それは、善をも悪をも支え包みこみ、浄化し引き上げるONEの力です。

囚われからの脱出Ⅰ

私たち人類は、ようやく相対的な世界の囚われ脱しはじめています。仏教では,善因楽果、悪因苦果などといいます。つまり,善い事をすると楽しい、幸せであるという結果が得られる。
悪いことをすると苦しい結果が待ち受けている。苦しみや不幸せをもたらす。という原理です。

カルマの法則です。

この世は、このような二極性の原理で動いています。

相対的な現象でベルでの動きです。

仏陀自身は、この囚われから脱することを奨めました。決して善因楽果を目指せませんでした。それは相対的な善であり、相対的な楽しみに過ぎません。

完全な善ではないからです。

完全な楽しみ、幸せではありません。囚われです。

悪に対する善、不幸に対する幸せ、苦しみに対する楽しみ、そのようなものは、二極性の原理に陥り、相対的なレベルでとどまり、必ずその陰や背後に泣く人や悲しむ人、傷つく人、あるいは我慢する人が出てしまいます。相対的な善はたいした善ではありません。相対的な悪もたいした悪ではありません。テーゼに対するアンチテーゼのように、政治で言えば、与党に対する野党のようなものです。

どちらに囚われて陥っても、真の平安や救いは得られません。


   続きは次回に

中道(宇宙の法則)

人というのは、普段から自然の道理に即した考え方や暮らし方や生き方、つまり仏陀のいう八正道という中道、宇宙の法則に即した道、中道を実践してさえいれば、正しく直感が働き真実に到達し、カルマがバランス化され、解消していきます。

中道というのはその度に動きます。

真実がくるくる変わるという意味ではありません

その場、その時に全く相応しい適った道理、それが中道を意味するから、常に動くのです。
その意味で、柔軟性や自在的な応用力が必要です。そして囚われなくなるので、真実を固着させません。そうすると生き生きといつも真理が生きていて、愛が応用されていきます。

濁ると澱むのは、川の流れと一緒です。私たちは、そのようにして自在に、真実の生命の川の流れをずっと泳いできたし、又流してもきたのです。

意識の拡大Ⅱ(アセンション)

アセンションというのは、何も奇をてらったことではありません。
今生活してるこの場所で行われるものであり、この現実生活をたくましく生きながら行われる意識の覚醒でもあります。

昨日の真実が、今日の真実ではなくなるという事です。

決して忘れてならないのは、地に足をつけながら行われるべきものです。

アセンションのキィワードは、人間回復でもあります。

生き生きわくわく、結果を気にせずに、この現実生活を創造することになります。

そこに計算や打算はありません。自分ならではのものをクリエイトして、
今という次元を楽しむことになります。

そこに競争や駆け引き、策略もありません。又成功も失敗もありません。

地球上は、体験学習の場になります。結果、地球上はパラダイスへとアセンションします。

幼子の精神とは?Ⅰ

イエスは、幼心のようになれば、天国意識状態をいきながら、体験できるといっています。
行きながら浄土の国にいけるという仏教の発想にも似ています。子供は生き生きし、感動し吃驚し、驚き、正直です。すべてが新鮮な驚きです。電車に乗っても、景色を眺めて驚いたり喜んだりしています。大人になるにつれて感性や感情鈍化し、麻痺してきて、喜びも悲しみも段々感じられなくなります。そうすると直観力が働かなくなるのです。

なぜなら、直観力というのは感情と多分に結びついているからなのです。

感情はが完成すると愛になります。

認識は知恵になります。

最後は愛と知恵が、渾然一体となります。

ONEです。それが神です。

意識の拡大Ⅰ(アセンション)

今までの女性の自慢できる人生とは、お金持ちの男性と結婚をして、人並み以上の生活をして、ご主人を出世させ、子供ができたら、塾に通わせ、有名大学に入学させ、そしてそれら諸々の事を自分の生きがいとして人生を送るのがよき人生だといえていました。

そんなことないわと仰るかもしれませんが、女性の大半の本音はそうです。

少なくとも私はそうでした。

そして、今人類の意識の拡大が起こっています。

その意識の拡大とは、今まで真実だと思ったことが、本当はそうではなくて、他のところに真実があったということに、人類が気が付き始めました。すなわち後生大事にしていたものが、そうではなかったということに気がつきはじめています。

生きることは、もっと深遠で、創造的で、人に迷惑をかけない限り、やりたいことをやってもいいのだということです。イキイキワクワクすることをやるのが人生なのです。
スピリチュアルな冒険なのです。

今までの人類は、最初に自分ありきではなくて、他人からの視点で物を考えすぎていました。
つまり、人から見てどう思われるだろうか、自分が損しないだろうか?自分は、Aの選択肢を選びたいけど、損得からしたらBを選んだ方が、得だということを考える余りに、自らの神性を押しつぶし、段々と人生が、面白くなくなり、生きているのか死んでいるのかわからないような状況を作り出してきました。自己愛の応用編が他者への愛です。自分を愛せない人が、どうして他者を愛せるでしょうか?それは偽善に過ぎないのです。

そしてパワーを落とし、人に対して懐疑的になり、物にとらわれるようになりました。人類は、想いを現実化できる特性を持っています。そしてその想いをあやまって使いました。そして、本質は、Aを選びたかったという想いは、心の奥底に残り、それがカルマとして残り、無意識のうちにそれを解消しようとするので、それと似たような状況を人生のうちに起こし、そして又同じ選択をして、どうして私の人生ってこうなのかしら?という、悪循環に陥ってきます。

意識の拡大は、その人の生き様を通して現れ出ます。

放蕩息子である私たちは、ようやく今になって、きびすを返して神の元に帰る準備を始めました。


続きは次回に

前世とカルマの浄化法Ⅱ

又周りの風潮が、周りを統治し、支配するべき物だという風なのが強く、あなた自身、何か抵抗や反発、疑問を感じてはいたのですが、そういうものだと教え込まれたし、周りもそのように動くので、そのうちあなた自身、そういうものなのかなあと思って、そのように動いたのです。でも苦しく辛く、そのようなところに乗っかって行って、カルマを作りました。

晩年になって、人生を振り返り、やはりおかしい、どうも変だった。自分を生かせなかったし、周りに乗せられた感じである。と冷静になり、客観的に振り返れるようになりました。

しかし、実際自分が動いて行動したので、カルマはカルマとなりました。

そしてその晩年における反省と決意、理解を携えて今生、生まれ変わってきました。ここの福岡という場所は、古代日本の4世紀の時代の前世は、何か乗せられて自分まで大失敗してしまったという実感があります。しかし被害者意識で終わらずに反省も出来ていました。

その結果、この状況をむしろ上手に生かしてしまえ。そしたら楽しく返済できるし、返済しようと思って返済するよりも、自分を生かす中で気づいてみたらカルマも返済し終わっていたという風にしようとあなたは考えました。、あなたの周りの人たちは、みな乗せられたようなところがあるので、あなたが本来の生き方を身をもって教え、激励し、導くことによって、あなただけでなく、周りの人も救われるのです。

前世とカルマの浄化法Ⅰ

期限4世紀に日本で作った作ったカルマを返済するには、意外なほど単純で簡単ですといわれた。「それは、あなた自身、本来のところに立ち返ることです。幼子の精神を取り戻すことです。そうすると貴女の傾向を自然でよい形で発揮することが出来るので、古代日本特有の風潮から脱し、貴女個人と輝きを放って、本来の自由でのびのびとしたあらわし方をすることが出来るからです。

貴女が、上手くやっていたアトランティス時代のときの魂を取り戻して、福岡の土地や九州
というカルマ、九州の古代のカルマというものから脱して本来の貴女の輝きを放つようにして
そのような方向で行うことで,おのずと本来の自由性を回復し、貴女の傾向を良さとして発揮することが出来るのです。そうすると自然にカルマも解消していきます。

あなた自身、古代の日本で女性か男性だったか、まだつかみきれないのですが、ただ確実にいえることは、剛毅な性格であって、いつもの貴女とは少々一風異なっていたということです。貴女にとって、余り性分ではなかった時代風潮でした。当時の貴女は、自分らしくいられませんでした。居心地が悪い時代と場所であり、何で自分はこんなところに生まれてきたんだろう?という疑問がありました。その気持ちを今もあなたは背負っています。
上手くハンドリングできませんでした。

   続きは次回に

プロフィール

良子先生

Author:良子先生
りょうこのブログへようこそ!

★ 職業:歯科医師 528HzMIセラピスト

★ 性別:女性

★ 年齢:不詳

★ 星座:水がめ座

★ 血液型:A型

★ 趣味:ガーデニング

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